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計画倒産か? 朝5時に始末をつける

秋沢志篤は高度経済成長という、日本が最も熱かった時代を駆け抜けてきた企業人である。石油業界の風雲児として名を高めた後は、社内起業家としてコンビニエンス・ストア・チェーン事業を構築。その間に磨いたリーダーシップと人望をもとに、62歳の時には、新たに私塾事業に乗り出した。情熱と冷静の間を行き来する足跡は「男子の本懐」そのもの。すべてのベンチャー魂の持ち主たちへ。秋沢の生き方は格別のエールである。
 秋沢の人心掌握のベースの一つには、青年期の体験がある。大きな金が動く石油業界は、エスタブリッシュメントといわれる経営層と同時に、海千山千の棲家でもあった。ひしめく人間絵巻をじっと観察しながら、秋沢は決してその渦には巻き込まれなかった。とはいえ逃げたのではない。渦の流れをつかみつつ、両者が納得し合う間合いを見極める。その間合いを、いつでも意識していたのだ。

 秋沢がまだ30代、共同石油の社員だった時だ。激しい淘汰競争を経た後、市場が飽和していく中で、石油業界には需給調整を目的とした「業者間転売」という手法が生まれていた。
 通常、ガソリンは元売り各社から特約店へ、そしてガソリンスタンドへと販売されていく。だが、この通称「業転」は、通常のラインを超えて、商社や特約店などの間を、ガソリンが不特定に転々と販売される取引だった。「業転」は、時として資金繰りにも使われた。いわば、需給調整に基づく必要悪ともいえる手法が「業転」で、元売りも黙認せざるを得ない事情がそこにはあった。

 秋沢が関わっていた業者A社も、別の業者B社に、激しく「業転」を行っていた。そのB社がある日、潰れた。その流れで、秋沢が担当していたA社も莫大な負債を被って、倒産の危機に陥った。共石がA社に対して持っていた数億円の債権が、このままでは丸ごと、会社の損害になってしまう。この数億円のうち、「業転」による債権、つまり秋沢の部署が別の責任を問われかねない内容の金額は8000万円に上っていた。
 所属していた部署の上司らがいっせいに保身に走る中、秋沢だけは一人、どうしたら8000万円を回収できるか、を考え続けた。考えて、考えて、夜、眠る時に目を閉じても、天井の桟が見えるほど、頭をフル回転させたある夜、ふと脳裏に全体の構図が浮かび上がってきた。―B社は苦境の中、A社とグルになって、計画的に倒産を仕組んだのではないか。

 深夜だったが、秋沢は起き上がり、A社の担当専務に電話をかけた。
「あなたのやっていることは、ひょっとしたら背任です」
 相手は黙っている。秋沢は続けた。
「ただし、話を聞いて納得できたら、一緒に解決できるでしょう。朝5時にあなたの会社の前で待っています」
 その電話を切るや否や、今度は社内の債権法務担当者に電話をし、A社の所有する不動産に対し担保設定を行う手はずを整えた。

 朝5時。秋沢と債権担当者が二人で待つ夜明けのA社前に、果たして専務はやってきた。そして、誰も出勤していない社内で、担保設定書は交わされた。共石はこれで「業転」による悪い風評や「貸倒れ」という損失を免れた。

「確かに、オレのやっていることもギリギリだと思うよ。だって、場合によって他の債権者を出し抜くことにもなるわけだから。ただ、僕の中には二つの対照的な行動基準がある。一つは『あるべき』筋を徹底的に通すこと。それは正義に通じる。その一方で、悪いことをするという目的でなければ、配役上、悪い役者の片棒も担ぎます、という側面。その二つの使い分けが、どういうわけか、本能的にできるようになっていったんです」

理想が「勝つ体制」の邪魔をする A社の事件では、会社に損失を与えないことが、自分に与えられた一番の任務だと、秋沢は判断した。判断の使い分けの原点には、学生時代に務めた体育会バスケットボール部キャプテンの経験がある。

 スポーツは好きだったが、大学に入るまで、バスケットボールに真剣に打ち込んだことはなかった。当然、インターハイ出場のような勲章は持っていない。そんな新入生が体育会で居場所を確保するには、ひたすら実力を付けるしかない。

 ボール磨き、先輩へのマッサージなど、秋沢は下働きをいとわなかった。同時に、猛練習も自分に課した。そのやり方も、ひねりが入っている。通常の練習が終わると、チーム仲間と駅までいったん帰る。仲間と別れてから、また来た道を戻って、ひっそりとした体育館に明かりをつける。ここからが秋沢にとって練習の本番なのだ。秋沢には意地があった。

「自分が努力している姿は、金輪際、仲間には見せたくない」
 努力が実を結び、4年の時にキャプテンを拝命した。キャプテン秋沢は、自分の経験を投影して、真面目な1、2年をかわいがり、チャラチャラしていて練習に来ないような部員は、スター選手でも試合に使わなかった。才能がなくても、努力をしている部員に、一番に報いたかったのだ。

 ところが“理想のマネージネント”は現実には通用しなかった。試合には出ると負ける。ともかく、ベタベタに負ける。出場の機会を得られないスター選手たちは「ざまあみろ」とそっぽを向き、一方で、実力のない選手は萎縮してしまって、部内は分裂状態に陥った。戦績が出なければ、OB会からの予算も付かない。悪夢のような連鎖の中で、秋沢は身を持って学習した。

「勝負は勝たねばならない。自分にとっての理想を押し通すことで、幸せにしたい人を、かえって不幸にしてしまうことがある」
 キャプテンを務めた後半は、スタープレーヤーを徹底的に投入した。秋沢はそこから「メンバーがずるいヤツだろうと、怠ける奴だろうと、必要となる時がある。ただ、勝利に向かう気持ちと、技術をメンバーから引き出すだけ」という人事の要諦を知った。それは、自分自身の中にある「人間性」と「経済性」のせめぎあいを、使い分けることでもあった。
 常に「どうあるべきか」を自分自身に問いかけるクセは、このころから強まったという。
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by yurinass | 2007-12-23 16:54
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