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by yurinass
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集まり散じた再生のプロ―異なる世界の人材、知恵絞る(人脈追跡)他。

 産業再生機構が今月解散する。産声を上げたのは二〇〇二年十月。政府の総合デフレ対策に設立が盛り込まれ、不良債権に苦しむ金融機関を救済する切り札の一つと位置づけられた。
 だが、当の金融機関には「強制的な債権放棄を迫られるのでは」といった疑心暗鬼が渦巻き、さらに当時の財務相、塩川正十郎(85)が機構設立に際し「企業の生き死にを判断する閻魔(えんま)大王が必要だ」などと発言したこともあり、産業界などからの反発も強まった。
 「国に企業再生ができるのか。おかしなものを作るなあ」。新聞で機構設立を知った時、斉藤惇(67)はこう思った。三十六年間籍を置いた野村証券で斉藤は有力な社長候補と目されていたが、一九九七年に摘発された総会屋事件に伴う粛正人事で副社長を退任。機構設立が決まったころは大手生保系投資顧問会社の会長を務めていた。
 〇二年末に投資顧問会社を退き、外資系証券会社のヘッドハンティングに応じるべきか迷っていた斉藤のところに機構の社長就任の話が持ち込まれたのは〇三年二月下旬。斉藤を口説いたのは旧知の霞が関官僚で当時内閣府産業再生機構設立準備室次長(現財務省理財局次長)の小手川大助(55)だった。
人には定めがある
 日本経団連名誉会長の今井敬(77)をはじめ数人の候補者に逃げられたポストを斉藤が引き受けたのは「野村を辞めた時もそうだが、人には定めがあると感じたから」という。ただ、鳴り物入りで発足したものの機構の中身はほぼ白紙の状態。株式会社形態に決まり、預金保険機構に加えて農林中央金庫の出資が報じられたのは〇三年五月の発足当日。「この組織に前例はない。我々がモデルになる」。斉藤はそう決意した。
 斉藤の下で企業再生の実務を取り仕切ったのは専務の冨山和彦(46)。実は、冨山も機構設立を初めて聞いた時は「うまく行かないだろう」と思った。当時は日本経済の再生論議が喧(かまびす)しかったが、財政出動を声高に叫ぶケインジアンや倒産を放置しても構わないと主張するフリードマン流の自由放任主義者が相も変わらず幅を利かせ、「企業再生に対する健全な視点が欠落していた」。
 冨山は当時、仲間と創業したコンサルティング会社の社長だった。機構に誘われた際、引き受ける条件として「実務の幹部人事を壟断(ろうだん)させてほしい」と冨山は申し出た。限られた時間で成果を出すにはいちいち議論している暇はない。しかも国内で企業再生に精通した人材は限られている。困難な仕事だからこそ、あえて傍若無人な条件提示をしたのだが、政府側はのんだ。その結果、発足当初の機構には冨山の人脈に連なるスタッフが多くなった。
 常務の中村彰利(48)のほか、執行役員となった松本順(45)、渡辺美衡(49)、立石寿雄(48)ら「七人のサムライ」と冨山が呼んだ面々は意思疎通のパイプが太く、機構の立ち上げにフル回転した。ピーク時のスタッフは二百人超。ほとんどは関係者人脈で集めた。コンサルタント会社や監査法人、法律事務所、金融機関の出身者が多く、公認会計士や弁護士、税理士などの有資格者も大勢いた。
「民間版」の誕生も
 「法務、財務、金融など異なる世界の人材が集まっていたのが機構の強みだった」とカネボウ再生などに携わった村木徹太郎(41)は振り返る。危機に陥った企業を各自の専門分野から分析。最適の再建策を練る。「病人に薬を投与するようなもの」と冨山は表現する。機構は四十一件の企業再生を手がけ、予定より一年早く解散する。「薬は副作用を伴う。機構が一時的に市場をゆがめたのは明らかなので早めに撤収する」
 すでに大半の人材が次の仕事に巣立った。執行役員だった片山龍太郎(49)や余語邦彦(50)のように企業のトップに迎えられた例もあれば、松本や立石のように起業した例もある。
 斉藤は東京証券取引所の次期社長候補として有力視されている。冨山の転身先は未定だが、企業再生関連の新会社を設立する構想も温めている。機構OBを含む若手を鍛えて日本の経営者の人材に厚みを加えたいという。機構が手がけた案件は極めて困難なものばかり。「それをやり遂げたのだから、今の日本は企業再生のノウハウで世界一の水準」。民間版再生機構誕生の可能性が膨らんでいる。=敬称略
(編集委員 安西巧)
 衣服の汚れは汗や食べ物のはねが多い。これらは水洗いすれば落ちることが多いが、繊維が伸縮して服の形が崩れる恐れがある。有機溶剤によるドライクリーニングなら形崩れはおきにくいが、汗など水溶性の汚れは落ちにくい。形崩れせず、汚れを落とすにはどうすればよいか。クリーニング業界の長年の難問に挑んだのが、宅配クリーニング業、ハッピー(京都府宇治市)の橋本英夫社長(57)だ。
 「やはり、普通の洗剤を使った水洗いだ」と考えた橋本さん。水につけ置きするだけなら繊維は傷まないが、それでは界面活性剤が刺激を受けず、汚れを包み込む本来の機能を発揮しない。この矛盾を解決するために頭に浮かんだのが京都の友禅流しだ。「断続的な弱い水流だと生地は傷まず、活性剤にも刺激が加わる」。そうした考えから約二年半前、洗濯物が水中で宇宙遊泳のように浮かぶ洗濯機の開発に乗り出した。
 カギを握ったのは水流を起こす回転ボールだった。どんな衣服にも活性剤を行き渡らすため、様々な材質や大きさのボールを取り付けた。二千九百回の実証実験を経てようやく二〇〇六年六月、「無重力Rバランス洗浄技法」として実用化。ウールのスーツから着物まで洗えるという。
 橋本さんはバルブメーカー出身の技術者。もともとハッピーは水洗いとドライを組み合わせた技術などで定評があった。利用料金は一点の平均単価が三千五百円と他社より高めだが、月二百―三百件のペースで新規顧客が増えている。新技術をてこに業界に新風を吹き込む構えだ。
(日本経済新聞)
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by yurinass | 2007-03-06 08:10 | 経済状況記事
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